戦国島津ゆかりの地・日置市

戦国乱世の時代、島津忠良(日新)と貴久の父子によって島津家は生まれ変わりました。海外の文物を進んで取り入れ、教育の基礎を築き、薩摩飛躍の源流を生み出しました。「島津四兄弟」と呼ばれる貴久の子ども、義久・義弘・歳久・家久はそれらをもとに九州全域に勢力を拡大させました。日置市には彼ら戦国島津ゆかりの史跡が数多くあります。忠良や四兄弟が生まれた伊作亀丸城跡。貴久の居城でザビエルゆかりの伊集院一宇治城跡。薩摩焼のふるさと、美山。歳久、家久、豊久それぞれの菩提寺の跡や義弘の菩提寺である妙円寺と彼を祀る徳重神社。後に幕末・維新へと引き継がれる戦国島津の歴史にふれてみませんか。

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伊集院地域

妙円寺
妙円寺

Myouenji
島津義弘の菩提寺。一度、廃仏毀釈で失われてしまいましたが、明治13年(1880)に再興されました。

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徳重神社
徳重神社

Tokushige jinja
江戸時代に妙円寺があった地に明治になって創建された島津義弘を祀る神社。義弘と殉死した13名の供養塔などもあります。

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島津義弘騎馬像
島津義弘騎馬像

Shimadzu yoshihiro kibazou
鹿児島の彫刻家・中村晋也氏の手による、敵中突破の姿を描いた作品です。

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伊集院一宇治城跡<
伊集院一宇治城跡

Ijuuin ichiujijou ato
義弘の父・島津貴久の居城。フランシスコ・ザビエルはこの地で貴久から布教を許されたと言われています。

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雪窓院跡
雪窓院跡

Sessouin ato
島津義久・義弘・歳久の生母の菩提寺の跡。豊臣政権との戦いの後、義久はこの寺で剃髪(ていはつ)し、秀吉に降伏しました。

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日吉地域

岩屋観音
岩屋観音

Iwaya kannon
日向国(宮崎県)高城に籠って大友氏や豊臣政権と対峙した山田有信の妻が男子の出産を祈った場所です。その結果、生まれた有栄(昌厳)は関ケ原の戦いで活躍しました。

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桂山寺跡
桂山寺跡

Keizanji ato
豊臣政権との戦い(根白坂の戦い)で戦死した日置島津家2代忠隣の墓があります。

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大乗寺跡
大乗寺跡

Daijyouji ato
島津歳久と彼の系譜をひく日置島津家の墓があります。

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園林寺跡
園林寺跡

Onrinji ato
関ケ原の戦いに従軍し、帰還を果たした禰寝重張の墓があります。子孫で、幕末薩摩藩をけん引した小松帯刀も眠っています。

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鬼丸神社
鬼丸神社

Onimaru jinjya
大隅南部を治め、島津氏と争った禰寝重長を祀る神社。重長は海外交易を積極的に行ったといいます。

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吹上地域

大汝牟遅神社
大汝牟遅神社

Onamuchi jinjya
戦国島津の尊崇を集めた神社。現在でも続く流鏑馬(やぶさめ)は、忠良が始めたものといわれ、義久も催しています。

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伊作亀丸城跡
伊作亀丸城跡

Izakukamemarujyo ato
伊作島津氏の居城。この地で生まれたとされる島津忠良はじめ義久・義弘・歳久・家久たちの誕生石がある、戦国島津の聖地です。

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海蔵院跡
海蔵院跡

Kaizouin ato
幼い頃、島津忠良が修行した真言宗寺院の跡です。

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南郷城跡
南郷城跡

Nangoujyo ato
本家当主の座をめぐる争い、島津貴久が初陣を飾った城です。

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天昌寺跡
天昌寺跡

Tenshouji ato
島津豊久と彼の系譜をひく永吉島津家の墓があります。

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梅天寺跡
梅天寺跡

Baitenji ato
島津家久の墓があります。

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東市来地域

市来鶴丸城跡
市来鶴丸城跡

Ichikitsurumarujyo ato
フランシスコ・ザビエルやルイス・アルメイダなどキリスト教の宣教師が訪れた城の跡。関ケ原の戦い後に和平交渉にあたった新納旅庵が幼少期に洗礼を受けた地とも伝えられています。

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美山
美山

Miyama
島津義弘が朝鮮出兵の際、薩摩に連れ帰った陶工たちが生み出した薩摩焼の里。幕末・明治には海外から絶賛され、現在もこの地で作られています。

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